1904年(明治三七)一月一日、愛知県愛知郡鷹羽村大字則武(名古屋市西区則武新町)に合名会社として設立(資本金十万円)され、親会社森村組が求める白素地ディナーセットの完成を目指した。同年十一月三日わが国初のドイツ式倒焰二階丸窯を築造し、またヨーロッパより輸入の新鋭機を揃えたが、八寸皿の焼成が意のように進まず、数年苦難の経営を続けた。1913年(大正二)七月ようやく八寸皿を完成、第一次世界大戦期にアメリカ向けディナーセットその他の輸出が軌道に乗り経営が好転。その間代表社員大倉和親の主唱により特高圧碍子・衛生陶器などの開発生産に着手。1917年(同六)七月株式会社に改組(資本金二百万円)。これに先立つ同年五月、衛生陶器部門を分離し東洋陶器株式会社を設立(現在の東陶機器)。1919年(同八)五月、碍子部門を分離し日本碍子株式会社を設立。1933年(昭和八)工場を大改造しケラ式トンネル窯を導入。
1935年(同一〇)ボンチャイナを生産。1939年(同一四)研削砥石工場を設置。第二次世界大戦中は軍需会社として全面的に砥石の生産に転換。戦後は陶磁器・砥石を二大支柱として業績は好調に推移し、陶磁器食器工場としてはわが国第一の規模を有する。