本多貞吉 ほんだていきち

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

肥前国大村領島原(長崎県島原市)の人。1766年(明和三)生まれ。陶法にくわしく伊予国(愛媛県)大洲・摂津国(兵庫県)三田などでも開窯したが、1807年(文化四)木米に随って金沢に来て春日山の製陶に従事し、木米の帰洛後なお留まって作陶した。1811年(同八)能美郡若杉村(石川県小松市若杉町)の林八兵衛に招かれ、同郡花坂村字六兵衛山(同市花坂町)磁石を採って製陶した。世にこれを若杉窯という。能美郡における磁器製造の始祖である。その製品は染付を主とし青磁・瑠璃・赤絵南京・古九谷風のものなどである。1819年(文政二)四月六日没、54歳。銘に「貞橘」としたものがある。なお貞吉は文化(1804~18)末年新花坂村字アザラ山の磁砿を発見し、その恩恵を長く後世の業者に及ぼした。(『九谷陶磁史』)

前に戻る
Facebook
Twitter
Email