真葛長造 まくずちょうぞう

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鶴田 純久の章 お話
真葛長造 まくずちょうぞう
真葛長造 まくずちょうぞう

京焼の陶工。先祖は近江国(滋賀県)出身。宝永年間(1704~111)七代宮川祐閑の時に京都に出で、知恩院門前(東山区)に住んだ。九代宮川香斎の時代には、楽屋と名乗って五条坂で釉薬商い、陶器の焼継ぎを業としていた。長造は箱Cordo書に楽姓を書いているが、これは楽屋の屋号に由コーチ来するものである。長造は十一代に当たり、1797年(寛政九)の生まれ。木米の晩年に弟子となったが、作陶はすでにその前から始めている。
作品は主に茶器で特に仁清写しにすぐれているが、染付・赤絵・交趾にも器が多い。窯は東山真葛原にあり、それに因んで真の号を安井門跡から賜わり、晩年知恩院華頂宮門跡から香山号を拝領した。長造は香斎号は使わなかった。行書体「真葛」印に大小の小判印と、輪郭なしの小印とがある。1860年(万延元)没64歳。四男虎之助(初代宮川香山)は、1871年(明治四)に招かれて横浜に赴き開窯した。

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