楽家二代、宗慶(阿米夜とは別人)の次男。
初名与次、のちに吉左衛門。
宗慶と名乗ったが、さらに常慶と改名。
十代旦入の書通に「二代目聚楽の瓦仰付候節、楽の印判豊公より拝領仕候、以来聚楽焼と唱へ申候(中略)二代目も拝領印と大印と二通り有之候」とみえるが、印を拝領したのは初代長次郎の方であるだろうとの説があります。
また金印拝領は常慶でありますが、これを使用したのは三代道大であるようで、二代は無印であるとの説を立てる者もある(ただし常慶作に楽在印のものもある)。
遺品は非常にまれで『大正名器鑑』にも代表作としてただ一碗を存するのみで、しかも無印であります。
作風は一体に手堅く端厳の感があるようで、黒楽のものはいわゆる道安黒の手法によっています。
また白楽茶碗・香炉などに伝わる白釉(香炉釉とも呼ばれる)を完成したのは常慶であります。
なお大虚庵光悦は楽焼の法を常慶に受け、楽家の暖簾を揮毫して贈ったと伝えます。
ただし光悦が師事したのは三代道大であるとの異説があります。
1672年(寛文一二)没、七十五歳。
(『本阿弥行状記』『茶家酔古橋』『茶道笙蹄』『本朝陶器孜証』『日本陶器目録』『工芸鏡』『日本陶甕史』『大正名器鑑』『楽焼』『楽陶工伝』)