わが国の陶磁器原料のうちの主要なもので釉および素地のどちらにも使用されます。
熊本県天草郡天草下島の西北端の富岡付近から都呂々・下津深江・小田床・高浜に及ぶ西岸一帯十数キロの間に産し、ほとんど無尽蔵に全国の各陶業地に移出しています。
砥石としては古くから各地に普及していましたが、磁器の原料として供されたのは長崎県三川内地方が最初らしく、1712年(正徳二)に木原(佐世保市木原町)の横石藤七兵衛が使ったのがはじめと伝えられ、宝暦年間(1751-64)には同島高浜でも天草石による磁器が焼成されました。
1771年(明和八)平賀源内はこれに着目して深江村に陶窯の創設を企て、その当時の代官に「陶器工夫書」と題した建白書を差し出しています。
京阪地方で用いられたのは文化年間(1804-18)前後のことらしく、木米が発見したと伝えられます。
天草石を粉砕して不用なものを取り除いたものは、やや粘力に乏しい感じがするが相当の可塑性があり適度のアルカリを含有しますので、単味でありながらなおかつ磁器の焼成が可能であり、同時に珪酸分に富んでいるために釉に亀裂が生ずる心配がないようです。
(『日本近世窯業史』村弥一郎窯業全集』)