安南焼の染め付け物。
明代正徳・嘉靖(1506-66)あるいは万暦(1573-1620)頃中国から伝わったものらしいです。
最初は陶器質であったが次に半磁器質となり、さらにその後磁器質となりました。
わが国で俗にいうところの絞手は約二百年前につくられたものらしいです。
一般に安南焼の釉薬は灰分が非常に多いため、熔け易くまた流れ易く失透する性質があります。
絞手の場合も釉薬の性質がそうさせたもので最初から意図したものではなく、上釉が流れるのに伴い呉須の文様も流れて、うっかりしている間にこのようにぼやけた絞手になったとみるのが妥当であります。
すなわち窯の温度が不足した時は失透し、高過ぎた時は流れて絞手となり、最も適温のものが普通の染め付けとなります。
安南蜻蛉手と称するもののわが国での模造品ははっきりした蜻蛉の文様でありますが、あるいは簡単な何の意味もない、強いてみれば蜻蛉ともいえる文様を、わが国で模倣してついに蜻蛉にしたのではないでしょうか。
安南染め付けについては、近来多くの資料が紹介された結果、その発祥は十四世紀にさかのぼり、あるいは中国より早いかとも考察されていますが、ベトナムに属する窯跡の調査が進まないため実態は明らかでないようです。
(『彩壺会講演録』「安南焼に就て」)