長門国豊浦郡勝山(山口県下関市)の松風山で焼いたものです。初代坂高麗左衛門は毛利秀元に従って朝鮮より来てこの地に開窯しましたが、のちに萩松本(萩市椿東)に移ったと伝えられます。のち毛利元義の時代にこの窯は再び起こり、磁器を焼き日用雑器や茶器を製しました。時に呉須彩文のものがあります。