九谷焼の陶画家。
1861年(文久元)加賀郡八田村(石川県金沢市八田町)に生まれました。
初名兵太郎。
若年より絵画を中浜竜淵・垣内雲燐に学び、陶画を八田逸山に習い、1883年(明治一六)より陶画業を自営し、繊細緻密な人物・山水などを描いては群を抜いていました。
1898年(同三一)松原新助について製陶を研究し、1902年(同三五)より上絵釉をもって釉下彩に等しい黄釉・緑釉・染め付け藍・茶褐釉・淡緑釉・桜色氷裂釉・真珠釉などを発明し、ますます技術の研究を進めて文様を高尚なものにしました。
1930年(昭和五)帝展推薦に選任。
1936年(同一一)3月没、七十五歳。
(『九谷陶磁史』)