七官青磁 しちかんせいじ

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鶴田 純久の章 お話

中国青磁に対するわが国における分類の一つ。
釉色は天竜寺に比べて翠青色を帯び、砧に比べて透明性があります。
ちょうど青ビ一ドロを見るようなすこぶる光沢が強い釉薬で、甕胎の含有鉄量はおおむね少ないようです。
また砧・天竜寺にはだいたい貫大がないが、七官には概して貫大があるのを特徴とします。
ただし今日七官青磁と称されるものは、色にはなはだ不同があります。
茶入は砧にも天竜寺にも大らないものは、おおむね七官の語で括るものらしい。
『万宝全書』ではこれを七官渡り・七官後渡り・延宝四年渡り・延宝五年渡りに分類していますが、延宝の四年、五年(1676、七)の渡りなど区別の仕様がないようです。
『銘器秘録』には七官渡り・七官中渡り・七官新渡りの三種に分類して「七官渡。
色不同出来あり。
此渡りの道具品々あれども総じて作り厚し。
然れども細工はよし。
花入、卓、香炉、置物、向獅子、硯屏の類種々の形多し、中古の上作なり」といいます。
また「七官中渡。
色出来とも不同あり。
花入類種々あり。
細工手際七官よりおとれり。
然れどもこの中の上出来を七官と呼び習はす」また「七官新渡。
色出来同断、細工の出来中渡より叉劣れり。
此時花入、卓、香炉、硯屏類種々渡れども下作なり」といいます。
七官青磁の名の由来については、明朝の七官という者が将来したためといい、七官は位階第七等の官大の意であるとも説かれる。
また一説に七官とはシュンガンの誂ったもので、貫大のある青磁の意であるともいいます。
七官青磁の産地や年代については、諸家はだいたい中国竜泉窯で明代中期頃から清初にかけて燔造したものであるといいます。
(『陶器集解』『青甕説』『陶器講座』三)

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