志戸呂焼 しとろやき

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鶴田 純久の章 お話

遠江国榛原郡五和村字志戸呂(静岡県榛原郡金谷町志戸呂)の産。
いわゆる遠州好み七窯の一つ。
窯は古く行基焼の名が残っています。
天正年中(1573-92)に美濃国(岐阜県)久尻の陶工加藤庄右衛門景忠がこの地に来て五郎左衛門と改名して従業しました。
当時の浜松城主松平家康がこの窯の細工を上覧した時、その技術をほめて高三十石の御墨付を賜わりました。
五郎左衛門の帰国後は弟子の某が加藤五郎左衛門を名乗って業を継いです。
寛永年間(1624-44)になって小堀遠州の意匠をもって茶器を焼き、遠州好み七窯の一つと称されました。
また享保年間(1716-36)からすべての器に「志戸呂」あるいは「質侶」の印を用いたことがあります。
土質は淡赤、釉色は濁黄または黒褐色で、堅焼であります。
のちに窯は付近の横岡(金谷町横岡)に移ったが振わなかりました。
(『森田久右衛門日記』『陶器考付録』『本朝陶器孜証』『工芸志料』『観古図説』『陶器類集』『大日本窯業協会雑誌』一九八『岐阜県産業史』『日本近世窯業史』)

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