書名。尾形乾山自筆の陶法伝書。一巻。
もと大槻如電(明治から昭和にかけての漢学者、大槻磐渓の長男、文彦の兄)の蔵書でありました。
のち池田成彬(銀行家、三井財閥の一人)の所有となり、さらに大和文華館の所蔵となりました。
内容は三部からなり、乾山が仁清から伝授された陶法、押小路焼の孫兵衛から伝授された交趾焼の陶法、乾山自身が工夫した新法が記されています。
その第一部の、仁清か瀬戸での陶法伝習中に記した資材名や土や薬の調合に、瀬戸の方言が混じっているのもおもしろいです。
これに乾山が自分の想像を朱書で入れているのも参考になります。
1737年(元文二〇、乾山七十五歳)3月5日の奥書があります。
これは江戸で書かれているらしく、「乾山江戸伝書」とも呼ばれています。
これとは別に、同年9月の奥書の、「陶磁製方」という題簸でほとんど内容が同一の乾山自筆の陶法伝書があります。
後者は栃木県さくら市の滝沢家の蔵で、乾山が下野国(栃木県)佐野の数寄者須藤杜川・大川道顕・松村壺青英亭らに招かれて同地に滞在していた間に、これらの人々に宛てて書き写し伝授したもので、世に「佐野伝書」と呼ばれています。
この佐野伝書は伝来の由緒が歴然としたもので、近年突如出現して世問を騒がせたいわゆる「佐野乾山手控」とは撰を異にするものであることは明らかであります。