青磁のやや淡いものです。
豆緑はそのやや濃いものです。
豆青と豆緑との二色は、中国宋代の寄・弟両窯で盛んでありました。
班窯は多く豆緑をつくり、弟窯すなわち竜泉窯は多く豆青をつくりました。
どちらも螢潤で愛すべきものであります。
弟窯はその流れを汲むものがやや多く、明および清初期に弟窯に倣ったものも多いようです。
明以前の豆青はかすかに黄色がありますが、清初期になると純然たる緑色に近くなります。
雍正・乾隆(1723-95)以後はたびたび彩絵を加え、無地のものは平淡でそれほどきわだった特色はないようです。
なお弟窯の青磁を豆青ということには疑問が残り、明の弘治(1488-1505)頃から竜泉風の青磁で色がずっと浅くやや黄味を帯びた磁器が現われ、これを豆青と呼んでいます。
その類には胎に暗花を施したもの、暗花の上に臓を塗って釉をはじきビスケット状の地文を現したものなどがあります。
(『匋雅』『飲流斎説甕』)