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鶴田 純久の章 お話

石川県九谷地方において使われている窯場用語。
1867年(慶応三)初めて渡来した西洋風顔料を洋薬と呼ぶのに対し、わが国従来の伝統的上絵具を和薬または和絵具と呼びます。
家伝または師伝により各自に白玉と呼ぶ媒熔剤と着色料とを調合して、さらに日の岡石(磋石粉)と唐の土で熔け具合を加減し、水を加え長時間摺り混ぜ泥漿とします。
その泥漿の焼成前の生色と焼成後の呈色とは全然異なり、複雑な中間色に至っては調合した本人のほかは業者といえどその呈色を判知できないものがあります。
また和薬は洋薬よりもはるかに高い温度で長時間焼成しなければならず、そのほか使用法において洋薬に比べて極めて繁雑困難でありますが、その呈色は洋薬が不透明であるのに比べて多くは透明であるため、神秘な奥ゆかしさと高尚な潤いとを有しています。
当今一般向きの器には洋薬を用い、鑑賞本位の芸術的作品には和薬を使用します。
(『九谷陶磁史』)※ようやく※しらたま

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