肥前国藤津郡西嬉野村(佐賀県嬉野市嬉野町)の産。
内野山焼ともいいます。
創始は文禄・慶長の役(1592-8)のあと帰化した陶工中相原・金原の二人によって内野山に築窯されてからだといわれます。
ややのちになって嬉野徳利が知られ、明和(1764-72)の頃には粗雑な磁器の飯碗をつくり製造業者も二百余に増加したといわれます。
しかし以後次第に衰微し明治時代には富永源六の磁業だけとなりましたが、1889年(明治二二)から次第に良品を産するようになり、これを別に源六焼ともいきました。
なお内野山は旧佐賀藩の直領地で陶業上有田代官所の所轄に属し、その保護は大変厚かったと伝えられます。
(塩田力蔵)