永和窯 えいわよう

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鶴田 純久の章 お話

吉州窯ともいいます。
中国江西省吉安府廬陵県永和鎮にありました。
製出した磁器には白色と紫色のものかあり、紫色のものは紫定器と似て体が厚く質は粗い。
宋代にはこの地に五窯があり、公焼と書いたものか最も佳であるといい、また舒翁という者が玩具を焼造し、その娘の舒嬌は最もこれか巧みであったといいます。
この地には別に砕器窯というものがあり、南末の時に焼造しました。
その土は粗堅で、胎は厚く質は重く、米色・粉青の二種があります。
滑石を用いて釉に配したので諏裂が多く、ちょうど塊砕のようなので砕器と呼ばれました。
世間ではこれを間違えて寄窯と呼んです。
砕器に墨汁または赫土を磨き込み、その後これを洗い拭い、裂紋の跡が黒色または紅色となって美しいものもあります。
また青花を加えたものもあります。
以上は古文献に出てくる永和窯の伝承ですが、近来の知見によるとかなり相違があります。
(『格古要論』『矩斎雑記』『唐氏肆孜』『景徳鎮陶録』)※きっしゅうよう

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