小川文斎 おがわぶんさい

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鶴田 純久の章 お話

京都の陶家。
初代小川久左衛門。
加賀国能美郡若杉村(石川県小松市若杉町)に生まれ、文政年間(1818-30)各地を遊歴して研究、最も陶窯築造の術に精通していました。
1839年(天保一〇)大阪天満源八町樋の口(北区樋之口町)に陶窯を築き、1847年(弘化四)には一条公に招かれて山城国相楽郡鹿背山カクレ谷(京都府木津川市)に新窯を開き陶法を教えました。
1870年(明治三)若山県(和歌山県)開物場が設置された時には、有田郡男山に行き陶窯を築き職工を指導。
のち1877年(同一〇)石川県勧業課の命で県下に窯を築きかたわら陶法を教授。
翌年帰洛し自家の業を始め、二代小川鉄之助と図って五条坂で製出しました。
製品にはどれも玉樹園文斎の名を用いています。
(『写本日本陶工伝』)

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