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鶴田 純久の章 お話

【花器の起原】花と器との結合は古くからみられますが、その容器というものは特定の「花いけ」を用いたのではないようです。
多くは酒瓶であったといいます。
自然の花と人工の壺とのすぐれた交渉を最も古く有した民族は、ギリシア文明の母胎をなした古代クリ一ト人であったといわれ、東洋においてはこれより千年のちの唐代の彩壺を最初とします。
「花器の名称」花器の名称はまちまちであります。
『和爾雅』に「花瓶」とあり、『古今集』以下の歌には「はながめ」とあり、『倭訓栞』には花池・花入などとありますが、花池の用字は用いる人がまれであります。
今日作陶家や愛陶家などは「カビン」、中国趣味の人は「カヘイ」、挿花者は「花器」、茶人は利休以来会記に「花入」と称しています。
「花器の種類」花器としては銅が最も古く陶磁がこれに次ぎます。
その他木工・竹および箭の雑器があります。
やきものの発達は利休に至るまで局部的であったため、その好みとなっているものにはほとんど陶器をみず銅器を主としています。
しかし伝世のものでは青磁のものに「きぬた」の銘を付けたので砧手の本歌となったと諸書に伝えられています。
その後茶の湯の発展に伴い陶窯が諸所に起こり、特色ある種々の陶器を焼出しました。
利休の孫千宗旦の好みはこの反響を如実に示すものであります。
すなわち、飴綜・柑子口・蓑虫・高麗筒‘・老鶴・折烏帽子・矢筈口・つるの首・砧・瓢箪・括り枕・樋の口・いなぎ猿などがみられます。
花器の等級はこれを真行草に分け、銅器・青磁などは真位であり、艦ものなどを草位とします。
陶製で茶人が呼ぶ独特の名では、「蹲」「捻貫」「蛸壺」「手きね」などがあり、同じく茶道で称する「旅枕」「千巻」「種壺」「置筒」「立鼓」「中蕪」「蕪無」「逆蕪」などは花道でも用います。
茶の湯で用いる陶磁の花入は、主として青磁では砧・天竜寺・七官・鍋島・三田であり、その他祥瑞・染付・宋胡録・安南・高麗物・オランダ・備前・伊賀・信楽・楽こ七の他の国焼などであります。
花道において花器の見取図一図解のあるものでやきものに関する文献は、どの時代に求めるべきでしょうか。
室町時代からの立花用花瓶・砂の物・薄端などは銅器を基調としています。
生花においては池坊の流儀のみが古く、嵯峨流をはじめとしてその他の流儀は、いずれも文化・文政(1804~30)以後の花道人の標榜であるにすぎないようです。
したがって花器に対する認識も、これら花道の隆盛によって生じたものですから、その文献はやや後代に求めなければならないようです。
(袁宏道『瓶史』張謙徳『瓶花譜』『茶わん』四七)

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