尾張瀬戸の陶家。
代々善治を襲名。
初代の善右衛門は早梅亭と号し、1785年(天明五)生まれ。
文化・文政年間(1804-30)もっぱら古法に倣って茶器を製して有名でありました。
また弘法大師の像二千体を製しこれを衆庶に施与しました。
時の人は弘法善治と呼んです。
天保年間(1830-44)退隠。
1873年(明治六)6月没、八十六歳。
二世善治が家を継ぎまた早梅亭と号しました。
1846年(弘化三)製磁の業に転じ、一種の煎茶用の急須を案出して好評を得ました。
これが瀬戸磁製急須のはじめといわれます。
1875年(明治八)岩手県に赴き製磁の法を伝え、翌々年の2月に帰郷し家を長子善治郎に継がせて退隠、老後の楽しみに種々の陶器を製しました。
「春善」の印があります。
1901年(同三四)7月没、七十七歳。
三世善治郎もまた早梅亭と号しました。
(『をはりの花』)