伊賀焼の銘。『府県陶器沿革陶工伝統誌』によると、伊賀丸柱村(三重県阿山郡阿山町丸柱)の岡本定八・同定五郎の家に所蔵の二個の銅印は藤堂高虎が与えたものといわれ、製器の表面に押印するのが常で、その印は篆書で一つに伊賀国、もう一つに丸柱制と記してありますが、どちらも縦一寸九分(五・八センチ)、幅が五分(一・五センチ)ある伊賀就拿といいますことであります。『伊賀及信楽』は、この篆書銅印は宝暦(1751~64)頃から使われだしたもので、おそらく藤堂高嶷が与えたものでしょうと記し、また同書に掲載されています玉滝村(阿山町玉滝)の庄屋磯矢家の古い記録には、銅印は弥助のもとにありましましたが、文化年間(1804~18)に弥助がこれを軽率に取り扱ったために不興をこうむり、それ以来定八のもとに移ったことが記されています。