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鶴田 純久の章 お話

文政・天保期(1818-44)の京都の陶工。
本名土岐亀助、丹波屋亀祐のち欽古堂亀祐と称しました。
もと山城国(京都府)伏見街道の土偶師で、晩年奥田頴川に陶法を学んです。
享和(1801-4)の頃摂津国三田(兵庫県三田市)の青磁窯に招かれて捻り物などをつくり、さらに丹波国篠山(兵庫県篠山市)にその法を伝えたといいます。
(一説に熊吉および周平と共に三田に赴くとある)仏前に供する唐草模様の透かし彫りのあるぎ炉は彼の創意にかかるといいます。
1830年(文政一三)『陶器指南』を著わします。
なお瀬戸の川本貞二は亀祐から捻り物の法を受け、その著『陶器指南』を広めようとして官に没収されたといいます。
(『日本近世窯業史』)※とうきしなん

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