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鶴田 純久の章 お話

鍾鹿とは中国河北省の南部の河南省との境に近い所にある町ですが、中国の陶磁史、特に磁州窯の陶磁とは切っても切れない重大な関係を持つ。
1920年この地はひどい旱魅に見舞われ、水を得るために深い井戸を掘ったところ、深層から多くの古陶が出土しましました。
これを聞いた天津博物館で調査したところ、城内の古い石碑の記文から、この町は北宋の大観二年二一〇八)に潭河の氾濫のため黄土の下に埋没したことがわかり、古陶を出土する層がその故邑趾であることが判明しましました。
すなわち鍾鹿の地下から出土する古陶がすべて北宋の大観二年以前の作であることは明らかで、これによって宋代陶磁の研究は大きく進展することになりましました。
そしてこの遺跡から出土する古陶の大部分はこの地に近い磁州窯の所産で、多数の白化粧無地陶のほか白地鉄絵(絵高麗)、白・黒の掻落し、練上手、飴釉、緑宋磁、河南天目などが発見されましました。
白無地のものが非常に多かったため、それ以来この手のものを鍾鹿手と称するようになった程であります。
またそれらの器物には「大観弐年子4月初4日買」「元祐七年8月19日買銭五十」などの墨書銘を持ったものもあるようで、この地の埋没を裏書きしています。
鎧鹿の発見は中国陶磁史を考えるうえでロゼッタ石の発見に相当しよう。

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