佐渡島相川(相川町)の陶器。
1635年(寛永一二)黒沢金太郎が焼き始めたものです。
以前は瓦焼を業としていましたが、西国の人から法を伝えて羽田村(相川町羽田村)の富士権現の地に窯を築き同所の土で製陶ししました。
モースによりますと、初代金太郎は京都に赴き伝習して帰り、一種の硬質陶器と楽焼きに類するものをつくり、その器には青または褐色の釉を施し、それを打つと凛々とした音を発し、普通小鉢または浅い皿を型によって抜いたもので所掲の彫銘があるといいます。
三代または四代継業されましたが、寛政(1789-1801)の金太郎が有名であります。
後代、伊藤甚兵衛・三浦常山などがその伝統を継いでいます。
(『本朝陶器孜証』『日本陶器目録』)