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鶴田 純久の章 お話

中国宋代の名窯。河北省定県にあったといわれている。器は白磁が最も多く、精麗で天下の規範となっていた。細緻な白土で胎を薄くつくり、多く彫りや型押しで花文・蓮池水禽などの文様を刻んでいる。鉢・皿・碗が最も多く、洗・小水注などはやや少なく、大型の壺や瓶の類は極めてまれである。釉は象牙色で薄く掛かっており、時に黄ばんだ溜りをみせることがあり、世間ではこれを涙痕という。鉢の類はその薄胎が高火度でへたることを怖れ、伏せ焼にするのが普通である。そのために口縁が釉禿げになるので、口縁部に金・銀・銅などの覆輪を掛けて用いている。ほかに紫定・黒定・紅定がある。墨定と称されているものは黒定の一種であろう。また土定・粉定と呼ばれ定窯写しの白磁もある。宋室南渡の後、景徳鎮焼造したものを南定と称し、それ以前のものを北定という。定窯は景徳鎮が盛んになる以前に最も栄えた窯で、定窯を模倣してつくられた窯が極めて多い。『格古要論』に「古定器は土豚細かく色白くして滋潤なるもの貴し、質麁にして色黄なるもの価し、外に涙痕なるもの是れ真なり、画花のもの最もし、素なるものも好し、繡花の者之に次ぐ、宋の宣和政和の間の窯最も好し、但成隊の者は得難し、紫定あり色紫なり、黒定あ色黒きこと漆の如し」とあり、『留青日和』に「象窯の色に似たり、竹糸刷紋ある者は北定窯といふ、南定窯は花あるものなり、南渡の後に出づ」とあり、「博物要覧』に「定器は画花、繡花、印花の三種あり、多く牡丹、萱草、飛鳳の三種に因る、時の造式多く工巧なり」とあり、『清秘蔵』に「定窯は光素、凸花の二種あり、白色を以て正となす、白骨にして水を加へ涙痕の如き、ある者なり、まま紫色黒色のものあり、甚しくは珍とせず」とある。『陶説』は以上の諸記文を引い「按ずるに定器は北定を以て貴しとなす、北定は政和宣和間の窯を以て最も好しとなす、しかれど東坡試院煎茶の詩に云ふところの、定州の花瓷紅玉を琢すの如き、宣和政和の前に在らざるや、且花瓷といふ、必ずしも花あるもの南渡後に出づるにはあらざるなり、又元朝の金匠彭均宝なる者あり、定器を效ね折腰様を作る、甚だ整斉なり、窯とふ、時に之を称して新定となす。格古要論にいへり、土豚細白なるもの定器と相似たり、青口に比し滋潤を欠き極めて脆しと、又博物要覧にいへり、新倣の定器、文王鼎鑪、獣面戟耳の鑪の如き、定人の製法に減らず、以て真を乱すべしと、周丹泉の初めに焼きたるが若きと為す、愛古者能く南北定を分別して又後来のせる者にはされずば鑒賞家たるに魏ぢざるに庶幾からん」とし、「景徳鎮陶録』には、「定窯は宋の時焼くところにして直隷定州に出づ、南定器北定器あり、土細膩にして質薄く光素、凸花、画花、印花、繡花の諸種あり、多くは牡丹、萱草、飛凰の花の式なり、白色にして滋潤なるを正とす、白骨にして加ふるに水を以てし涙痕の如きものあるを佳とす、俗に粉定と呼び又白定と称す。その質組にして微しく黄なるものは低し、俗に土定と呼ぶ、東坡の試院煎茶の詩に云ふ、定州の花瓷紅玉を琢すと、蔣記に云ふ、景徳鎮の陶器は饒玉の称あり、真定紅瓷に視ぶれば相競ふに足ると、則ち定器又紅なるものありしなり、まま紫定黒定を造る、しかれど惟だ紅白の二当時之を尚ぶ、唐氏肆攷に云ふ、古定器は政和宣和間の窯を以て最も好しとなす、色に竹糸刷紋あり、その南渡後に出づるを南定となす、北は南より貴し、画花のもの最もなり、光素亦好し、昌南窯定器に倣ひて青田の石粉を用ゐて骨となす、質粗理鬆、粉定と日ふ、其の紫定は色紫にして黒定は色漆の如し、重んずるに足る無きなり」とある。また『飲流斎説瓷』には「直隷定州に在りて造るところの者を北定といふ、宋初建設せるところなり、南渡後景徳鎮に在りて製する者南定と名く、その釉粉色に似たり、故に通称し粉定とふ、北定は其質極めて薄く其体極めて軽し、光素凸花、画花、印花、暗花の数種あ大抵花あるもの多くして花なきもの少し、花は牡丹、萱草、飛鳳、盤等の形多くその源は秦鏡に出づ、その妍細なるところ幾んど人間の所製にあらざるかを疑はしむ、乃ち古瓷中最も精麗の品なり、その開片あるものは皆な柳文に係り、白骨にして加ふるに釉水を以てし涙痕の如きあるもの品なり、口と底とは率ね胎を漏はせり、故に其口往々銅を以て之にしたるものあり、南定の胎質は極めて細かく色は極めて白し、その釉白玻璃釉に係る、惟だ澄清の処ほぼ豆緑色を閃せるのみ釉中花あるものあり鼓花なきものあり、その形式北定と相同じく胎釉に微かに小異あり、凡そ粉定の真なるものはその釉光りて且つ潤ひき象牙と同じ、釉中多く柳文開片ありて偽造の開片と同じからず、偽なるものの釉はあるひは太だあるひは太だ乾きあるひは太だ透亮なりあるひは太だ闇淡にして真物の潤亮なると甚だ似ざるなり、粉定種類一ならず、胎に厚薄あり、色は閃紅を以て貴しと為し閃黄色之に次ぐ、閃黄は即ち牙色なり、開片あるものと開片なきものとあり、明代成化の造亦なり、乾隆以後遂に之をふものなし」と説かれている。なお定窯紅瓷は天目であるとする説があり、またその反対説もある。定窯に関するわが国の文献には『雅集』第六『支那陶磁源流図考』『支那古陶瓷』『支那陶器小考』『陶磁』第七巻第三号などがあるので参照。

定窯は宋時代を代表する白磁の名窯であり、窯址は現在の河北省曲陽県に発見されています。
良質の磁土を用いて器壁は薄くのびやかに成形され、酸化焔焼成によって釉薬中の微量の鉄分が黄味をおび、あたたかみのある牙白色の釉膚となっています。
流麗な蓮花文、文様の輪郭に向かって斜めに刃を入れて彫る片切り彫りの手法によっており、深く掘られた部分に釉薬が厚く溜まることによって文様が浮かび上がって見えるのであります。
釉調の美しさと文様の見事さをかねそなえた定窯白磁の典型作といえます。

定窯 ていよう

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