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鶴田 純久の章 お話

Ash glaze pottery: bowl. Excavated from Kurozasa No.35 Ceramic Kiln, Miyoshi-machi, Aichi. 9th century. Diameter 14.3-15.2cm. Aichi PrefecturalCeramic Museum.
愛知県みよし市大字生黒笹35号窯出土
9世紀
高さ4.9cm 口径14.3~15.2cm 底径7.6cm
愛知県陶磁資料館
 硬質の白素地に淡い緑色の釉薬のかかった灰釉椀の出現は、日本の長いやきものの歴史のなかで新紀元を画す出来事でした。遠い昔、赤い素焼きの土器しかなかった日本に須恵器が出現したときの驚きに勝るものがあったにちがいありません。すでに8世紀後半代から瓶や壺の一部に原始的な灰釉を施すことが愛知県猿投窯において始められていましたが、それは須恵器に濃緑の灰釉のかかったような暗い色調のものでした。9世紀代に猿投窯においてあらたに出現した明るい色調の灰釉腕は、それまでの須恵器の腕類と器形を異にしています。
 あきらかにそれは、中国の青磁や白磁の碗を模したものでした。
 形ばかりでなく、焼成技法でも、三叉トチンなど窯道具にみられるように中国陶磁の製作技法の直接的な伝播を考慮せしめずに<ypf_74581_85.txt>はおかないものがあります。『日本後紀』に載せられた 「尾張国山田郡人三家人部乙麻呂等三人伝習業成り」 て焼き出された尾張瓷器を、この灰釉椀の出現に結びつけることはけっして無稽なこととはいえますまい。内面にのみたっぷりかかった淡黄緑色の灰釉、重ね焼きのための三叉トチンの目痕が見込みに明瞭に現われています。初期灰釉の代表的な作品の一つです。

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