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白玉文琳

白玉文琳(しらたまぶんりん)

中国製 大名物 旧名:丸屋(九屋)文琳 所蔵:東京 根津嘉一郎氏

名称の由来
白玉文琳とは、釉薬の溜まりが水滴のような玉のようになっていることにちなんで名付けられたものと思われます。また、その旧名である「丸屋(九屋)文琳」というのは、京都の丸屋林斎が所持していたためです。

寸法(1寸≒3.03cm、1匁≒3.75gで換算)
高さ:約7.27cm(2寸4分)
胴径:約6.73cm(2寸2分2厘)
口径:約2.27cm(7分5厘)
底径:約2.79cm(9分2厘)
甑(こしき)の高さ:約0.79cm(2分6厘)または約0.85cm(2分8厘)
重量:93.38g(24匁9分)

附属品
・蓋:1枚(窠:くぼみあり)
・御物袋(茶入を入れる袋):白の縮緬(ちりめん)、紐は白色
・仕覆(袋):3つ
正法寺(裏は海気、紐は紫色)
白地の古い金襴(裏は非常に使い古されている、紐は紫色)
本能寺(ほどいた状態の袋)

・袋の内箱:白木の桐製、面取りに金粉、柳営(将軍家)の箱
「白玉文琳袋 三」と記載
・袋の外箱:白木の桐製、右筆(書記)の書き付けあり
「拝領 白玉文琳 袋」
・袋を包む紙の書き付け
「この袋は縫われておりましたが、古い布であるため袋のヒダが弱く傷みやすいためお伺いを立て、延享3年(1746年)丙寅の6月20日に縫い目をほどいて納め置きました。
白玉文琳袋 三(本能寺、白地の古い金襴)」
・挽家(ひきや:茶入を収める筒):花櫚(かりん)製、銘はなし
袋は錦(裏は萌黄色の紋入り繻子、紐は茶色)
・内箱:白木の桐製、面取りに金粉、柳営(将軍家)の箱
「白玉」と記載
包み布:金更紗
・中箱:桐の春慶塗り、金粉の文字あり
「白玉 文琳」
包み布:烏手(からすで)更紗
・外箱:白木の桐製、松平伊賀守の右筆の書き付けあり

(外箱の書き付け)
「拝領 白玉 文琳」

・書き付け:2通
「宝暦9年(1759年)己卯の年の道具帳に以下のように記載されています。
宝永5年(1708年)戊子の年2月21日、5代将軍綱吉公(常憲院様)がお成りになった際、扇橋の下屋敷にて、
歓喜院忠周公(松平忠周)が拝領。
白玉文琳茶入
(他の道具帳には『大名物 号は丸屋文琳』と認められています。他に替え袋の箱が添えられています。)」

「徳川5代将軍綱吉公より拝領
白玉文琳御茶入の由緒
宝永5年(子年)2月21日、お成りの時に拝領。
銘物の覚え
将軍様(公方様)より
・時服(衣服)30着
・三種(贈答品)2荷
・御腰物(刀)則重 代金75枚
・御馬 御預かりで鞍が置かれている
・御内証(内々での下賜品)
御茶入 白玉文琳
松平伊賀守へ
(朱書きの書き込み:忠周公)
同じく
・御腰物 吉包 代金30枚
松平新十郎へ
(朱書きの書き込み:忠愛公の幼名)
同じく
・縮緬(ちりめん)50巻
・箱入りの肴 1種
松平伊賀守の妻へ
(朱書きの書き込み:忠周公の妹で米倉光寿院殿、鈴木庄太衛門の妹が室となっている御取親)
・縮緬 50巻
同人の娘へ

・御内証として下された物
御書物
御見台 松平伊賀守へ
御机
十炷香箱(組香の道具)同人の妻へ
香合 5つ 松平新十郎へ
香炉箱 松平伊賀守の娘へ
右の通り下賜されました。
子(ね)の年の2月21日」

雑記
白玉文琳 中国製。松平陸奥守(伊達家)所持。(茶入の図あり)
(『古今名物類聚拾遺之部』より)

伊達綱村(松平陸奥守)。万治2年(1659年)生まれ。元禄16年(1703年)8月25日に隠居し、26日に上総介と改名。9月14日に得物(下賜品)として三条吉家の刀、白玉文琳の茶入、盆を添えて将軍に献上した。享保4年(1719年)6月20日に死去。享年61。
(『寛政重修諸家譜』より)

元禄16年(1703年)9月14日、三条吉家の御刀(代金200枚)と白玉文琳の御茶入(盆1枚付き)を松平上総介(伊達綱村)が下賜された(得物)。
(帝国大学史料本『諸家遺物得物献上記』より)

丸屋文琳 中国製の小壺。丸屋林斎の所持。
(『古名物記』より)

丸や(丸屋)文琳 中国製の小壺。京都の丸や林斎の所持。
(『玩貨名物記』より)

丸屋文琳 中国製の小壺。大名物。丸屋林斎の所持。
(『古今名物類聚』より)

丸屋十兵衛は蛸薬師に住んでおり、「花房一党」と呼ばれて町内に親族の家が数軒あったという。この家に名物の茶入があり、「丸屋文琳」と名付けられていた。この茶入が代銀百貫目で売却された時の売上証文については、『名物類聚』という本に詳しく記されている。現在は東本願寺の御門跡の御物(所有物)となっている。
(関竹泉 著『茶話真向翁』より)

丸屋文琳 京都の丸屋林斎の所持。のちに松平伊賀守が拝領。
(『御物御道具記』より)

大正7年(1918年)11月27日 東京青山の根津邸 無事庵での口切茶会
亭主:根津青山(嘉一郎)
客:高橋箒庵、野崎幻庵、岩原謙庵、山澄宗澄、古筆了任
掛物は西行法師の「寺落葉切」
「せきてらや(関寺や)人もかよはす(通わず)なりぬれは(なりぬれば)紅葉ちりしく(散り敷く)庭のをも(面)かな」
茶入は白玉文琳(袋は正法寺裂、盆は椀盆)、茶碗は白御所丸、茶杓は千宗旦作の銘「一剣」(共筒)、建水は砂張の「柿の先」。
(『東都茶会記』第六輯より)

大正10年(1921年)11月19日 東山大茶会(清水寺境内 華中庵)会主:根津青山
床の間に西行筆の「寺落葉切」。花入れは砧青磁、花は寒牡丹。
茶入は大名物の中国製「白玉文琳」(盆は若狭盆)、茶碗は柿の蔕(へた)の銘「滝川」。
(『辛酉大正茶道記』より)

伝来
もとは京都の丸屋林斎の所持であり、その後東本願寺に伝わり、のちに仙台藩(伊達家)の所持となりました。しかし、元禄16年(1703年)9月14日に松平陸奥守綱村が隠居する際、この茶入を幕府に献上しました。その後、宝永5年(1708年)2月21日、将軍・徳川綱吉が松平伊賀守忠周の邸宅にお成りになった際、この茶入を下賜しました。これより代々松平伊賀守家の愛蔵品となっていましたが、大正2年(1913年)に松平家から直接、現在の所持者(根津氏)に譲渡されたとのことです。

実見記(実際に見た記録)
大正9年(1920年)7月7日、東京市赤坂区青山南町六丁目の根津嘉一郎氏邸において実際に拝見しました。
口の作りは極めて小さく、玉縁の捻り返し(反り)は浅いです。甑(首)の下が張り出し、その周囲の半分を回って青瑠璃色の筋があります。肩の先から胴体にかけてはロクロ目が緩やかに回っており、置形(正面)の胴からは黄色い飴色の釉薬が流れ落ちて盆の近くに至って止まっています。釉薬は低く底の際まで掛かっており、底は朱泥色(赤茶色)の土で、糸切りの起点に食い違いがあり、さらに底の全面に不規則な横筋があるのは非常に変わった作風(変体)に属します。
内部は口の縁に釉薬が掛かり、その釉薬の中に青瑠璃色の一筋が回っています。それより下は土が露出しており(素土)、ロクロ目が底の中央に至って渦巻き状になっています。
この茶入は手に取るとやや重く、置形の一筋の流れや青白色の釉薬の溜まり、黄色い飴色の光沢は、共に文琳茶入の中では稀に見る素晴らしい景色です。さらに、この「白玉」という名前にふさわしく一点の微細な傷もないことは、まさに連城の璧(複数の城に匹敵するほどの宝玉)に値するものと言えるでしょう。

【原文】

白玉文琳

唐物 大名物 舊名 九屋文琳 東京 根津嘉一郎氏藏

名稱
白玉文琳とは其釉溜りの一滴玉の如くなるに因りて名つけたる者なるべし。又其舊名九屋文琳といふは京の丸屋林齋所持なりしを以てなり。

寸法
高 貳寸四分
胴徑 貳寸貳分貳厘
口徑 七分五厘
底徑 九分貳厘
甑高 貳分六厘又貳分八厘
重量 貳拾四匁九分

附属物
一 蓋 一枚 窠
一 御物袋 白縮緬 緒つがり白
一 袋 三ッ
正法寺 裏海氣 緒つがり紫
白地古金襴 裏大やつれ 緒つがり紫
本能寺 解袋

一 袋内箱 桐 白木 面金粉 柳營箱
白玉文琳袋 三
一 袋外箱 桐 白木 書付右筆
拜領
白玉文琳 袋
一 袋包紙の書付
此袋縫ひ而御座候得共、古キ切レ故、袋ノヒダ弱リ損安ク候付相伺、延享三丙寅六月二十日ニ縫解候而納置申候。
白玉文琳袋 三 本能寺也白地古金襴
一 挽家 花櫚 銘なし
袋 錦 裏萌黄紋純子 緒つがり茶
一 内箱 桐 白木 面金粉 柳營箱
白玉
包物 金更紗
一 中箱 桐 春慶塗 金粉字形
白玉 文琳
包物 烏手更紗
一 外箱 桐 白木 書付 松平伊賀守右筆
拜領 白玉 文琳
一 書付 二通
寶暦九己卯歳道具帳ニ左ノ通記載有之
寶永五戊子年二月廿一日、五代將軍綱吉公常憲院様御成ノ際扇橋下屋敷ニテ
歡喜院忠周公拜領
白玉文琳茶入
外道具帖ニ大名物號丸屋文琳ト認有之
外ニ換袋箱添
徳川五代將軍綱吉公ヨリ拜領
白玉文琳御茶入之由緒
寶永五子年二月廿一日御成之時拜領
銘物之覺
公方様より
時服 三拾
三種 二荷
御腰物則重 代金七十五枚
御馬 御預け御鞍置
御内證
御茶入 白玉文琳
松平伊賀守へ
(朱書入忠周公)
同斷
御腰物吉包 代金三十枚
松平新十郎へ
(朱書入忠愛公御幼名)
同斷
縮緬 五十卷
箱肴 一種
松平伊賀守妻へ
(朱書入忠周公御妹米倉公光壽院殿、鈴木庄太衛門妹室御取親)
縮緬 五十卷
同人娘へ
御内證にて被下物
御書物
御見臺 松平伊賀守へ
御机
十炷香箱 同人妻へ
香合 五 松平新十郎へ
香爐箱 松平伊賀守娘へ
右之通被下候也
子ノ二月二十一日

雜記
白玉文琳 唐物 松平陸奥守。(茶入圖あり)
(古今名物類聚拾遺之部)

伊達綱村 松平陸奥守 萬治二年生る。元祿十六年八月二十五日致仕、二十六日上總介ニ改む、九月十四日得物三條吉家の刀、白玉文琳の茶入、盆を添へて奉る。享保四年六月廿日卒す、年六十一。
(寛政重修諸家譜)

元祿十六年九月十四日 御刀三條吉家代金二百枚、御茶入白玉文琳盆一枚松平上總介得物。
(帝大史料本諸家遺物得物獻上記)

丸屋文琳 唐物小壺 丸屋林齋。
(古名物記)

丸や文琳 唐物小壺 京丸や林齋。
(玩貨名物記)

丸屋文琳 唐物小壺 大名物 丸屋林齋。
(古今名物類聚)

丸屋十兵衞蛸藥師に住す花房一黨とて、町内同家敷軒ありしとなり。此家に名物茶入所持す、丸屋文琳と名づく。此茶入代銀百貫目に渡候時、賣上文證、名物類聚といふ書に委しく記せり。今東本願寺御門跡御物なり。
(關竹泉著茶話眞向翁)

丸屋文琳 京丸屋林齋松伊賀拜領。
(御物御道具記)

大正七年十一月二十七日東京青山根津邸無事庵口切茶會
主 根津青山
客 高橋箒庵 野崎幻庵 岩原謙庵 山澄宗澄 古筆了任
掛物西行法師寺落葉切
せきてらや人もかよはすなりぬれは
紅葉ちりしく庭のをもかな
茶入袋正法寺裂 盆 椀 白玉文琳 茶碗白御所丸 茶杓銘一劍宗旦共筒 建水砂張柿の先
(東都茶會記第六輯)

大正十年十一月十九日東山大茶會 清水寺境内華中庵 會主根津青山
一 床 西行筆寺落葉切
一 花入 砧青磁 花寒牡丹
一 茶入 大名物唐物白玉文琳 盆若狹 一 茶碗 柿のへた銘瀧川
(辛酉大正茶道記)

傳來
元京丸屋林齋所持にして、東本願寺に傳はり、後仙台侯の所持となりしが元祿十六年九月十四日、松平陸奥守綱村退隠に際し、此茶入を幕府に獻上せり、寶永五年二月廿一日、將軍綱吉、松平伊賀守忠周の邸に臨みて此茶入を賜はる。是より代々松平伊賀守の愛藏たりしが、大正二年松平家より直接現所持者に讓渡さるとなり。

實見記
大正九年七月七日東京市赤坂區青山南町六丁目根津嘉一郎氏邸に於て實見す。
口作極めて小さく、玉縁捻り返し淺く、甑下張り、其周圍半分を廻りて青瑠璃色の筋あり、肩先より胴體まで轆轤緩く繞り、置形胴より黄飴釉なだれ盆附に至りて止まり、藥低く底際まで掛り底朱泥色の土にて、糸切起點に喰ひ違ひあり、且つ全面に不規則なる横筋あるは、甚だ變體に屬せり。内部口縁釉掛り、其釉中に青瑠璃色の一筋を繞らす、

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