伊勢国津(三重県津市)の陶器。
古くは安濃津焼ともいきましました。
安永・天明(1772-89)頃津の藩主藤堂高豊か、古万古窯沼波弄山の陶工瑞牙を招いて近郊の安東村(同市安東町)で焼かせたのが起こりであります。
窯務には藩士服部十太夫(一に十左衛門)が携わりました。
作風は概して古万古風の色絵でありますが、中に南蛮風の焼締めに一部だけ絵付したものがあり、古安東の一特色をなしています。
古書には南蛮写しを(古)安東の特色としています。
片身替り意匠も古安東の方が多いようです。
絵付は赤・緑を主とするが黄・青・紫も使っています。
「安東」印を捺しますが、楷書および草書の両種があります。
一時廃窯後、嘉永年間(1848-54)に倉田久八が再興し、信楽の陶工上島弥兵衛を招いて御用窯として製陶しました。
これを俗に再興安東といい、こ38れに対して以前のを古安東といいます。
やはり楷書の「安東」印であるが古安東とは字体が違います。
再興安東は古安東と素地も異なり、黒斑入りの鼠土で、絵付も有節万古風の盛り上げであります。
のちに「阿漕」印を用いたので阿漕焼と呼ばれるようになりました。
※あこぎやき