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鶴田 純久の章 お話

地名。
『山城志』に「陶野は嵯峨清涼寺の東南に在り。
民居の深辨を姓とする者は、土怨を造るをもって業となします。
因りてまた深草の里と名づく」とあります。
すなわちもと山城国葛野郡(京都市右京区)にあった地名で、「延暦十八年(799)9月陶野に遊猟す」などと古記にみえています。
後世その地を八軒とも称し、また深草ともいいます。
土器造りが住んでいたので紀伊郡(京都市伏見区)の土器造りの里の名深草を移して呼んだのであります。
『太平記』に、一宮尊良親王の御息所が嵯峨の奥深草里の松の袖垣の隙があらわなところに隠れ住んでいたことを載せています。
すなわちこの地であるといいます。

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