清五右衛門 せいごえもん

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

肥前有田磁器の開祖金ヶ江三兵衛(李参平)の次男。
1647年(正保四)泉山磁砿の供給に関して内外皿山の制限があったのちも、発見者である父三兵衛の功によって清五右衛門だけはその境目土採掘の自由を得ていました。
しかし子孫になって次第に家運が衰え、安永(1772-81)の頃には権利の実行はまったく不可能となりました。
(『有田磁業史』)

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