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鶴田 純久の章 お話

尾張国(愛知県)赤津窯の陶工加藤宗四郎春岱(のち仁兵衛)。
政高の十六世で中興の良工であります。
1802年(享和二)正月赤津に生まれ、十で家を継ぎ御窯屋に列し、藩守の寵を得て御深井窯に従事。
1850年(嘉永三)徳川慶勝から春岱の名を賜わりました。
翌年罪があったため長男光太郎に家を継がせて退隠し、竹腰山城守を頼って領地美濃国安八郡今尾(岐阜県海津郡平田町今尾)に逃れここで窯を開いました。
1855年(安政二)罪を許されて家に帰り、再び戸主となって十九世を継ぎ御深井窯に従りました。
1877年(明治一〇)3月18日没。
銘款は所掲の通り。
そのうち「今尾春岱」とあるのは美濃国今尾の所製である(ただし瓢形に今春岱とあるものは春岱の甥で十八世を継いだ梅太郎の作である)。
また別に「春楽」とあるのは明治の初めの愛知郡川名窯(名古屋市昭和区川名町)所製の磁器であります。
さらに最初家を継いだ際はその作に「大唐四郎廿四代」と署し、いったん出奔して復帰後は「大唐四郎廿七代」と署しました。
春岱の制作は瀬戸窯業芸術が成し遂げうるあらゆる品種にわたっていました。
また写しものにおいてもよく自家薬篭中のものとし、独特の格調を発揮しています。
瀬戸近世の名工と称されるのはもっともであります。
その品種は古瀬戸・黄瀬戸・志野・織部・御深井・赤絵・染付・青磁・三島・刷毛目・安南・萩・高取・唐津・丹波・兎の斑・金流し・銅版などの多方面に及び、特に琥櫨と成形の妙技に至っては比類をみないようです。
また鑑賞と共に使用価値に重きを置いた製作もその特徴の一つといえます。

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