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原色陶器大辞典

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洋薬 ようやく

西洋風の彩料のこと。1867年(慶応三)瑞穂屋卯三郎はヨーロッパより西洋風顔料を伝え、業者は従来の絵具を和薬といいこの新来のものを洋薬といきました。洋薬は着色金属と碩酸を含む媒熔剤とを調合して焼き、これを微細な粉末として使用者に供給するもの...
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撚り土 よりつち

紐づくりの際の土条。板上に土の適量を置き手で撚ってつくった細い土の紐。また両掌に土を挾んで撚ってつくることもあります。これらには粘力の強い土が適当であるから、転じて木節粘土に珪砂を交えたような土を撚り土と称することもあります。
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重正 しげまさ

美濃国久尻(岐阜県土岐市泉町久尻)の陶家岡田忠右衛門重正。紀州徳川家岡田掃頭の次男であり、久尻窯開祖加藤与三兵衛景光の次男弥左衛門景頼の女婿となり、景頼の家を相続した。慶長年中(1596~1615)の人。遺作のまれに存するものに「重正作」の...
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重英 しげひで

尾張国(愛知県)赤津の陶工加藤嘉仲重英(のち仁兵衛)。景郷の二世で尾張の御窯屋に列し、1650年(慶安三)国守義直より十石を受領し、さらに光友の代に毎年金拾両宛永々下賜の命を受けた。一説に源相と号し、1718年(享保三)正月に没したという。...
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夕暮 ゆうぐれ

名物。楽焼茶碗、赤、長次郎作。茶碗の釉色が夕陽の光景によく似ているところからこのように銘したのであるでしょう。もと大阪鴻池家所持、竹本屋五兵衛、川上不白、越後新発田藩主溝口侯を経て、明治年間に東京内田薫作家に入りました。(『大正名器鑑』)
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山田常山 やまだじょうざん

本名浜次郎、陶号常山、1868年(明治元)愛知県常滑に生まれました。初代寿門堂保平に続く常滑朱泥茶器の代表作家で、終生朱泥茶器をつくり、多くの徒弟を育成しました。常山の轆轤技術は驚くべき正確さであります。二代・三代と常山は続いています。19...
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遊撃 ゆうげき

名物。朝鮮茶碗、割高台、高麗。豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592-8)の講和使節として来日した遊撃将軍沈惟敬が所持していたもので、わが国に赴かんとした時、朝鮮国王がわが国で揮毫を求められた時の用意に贈った筆洗であります。1596年(慶長元)...
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山田宗偏 やまだそうへん

茶人。宗旦四天王ノー人。1627年(寛永四)生まれ。周学と称し、また四方庵・力囲斎・如箭子・如竿子の号があります。京都東本願寺末の長徳寺の嗣子でありましたが、十八歳の時宗旦に入門し、二十六歳で還俗して母方の姓山田を名乗り、嗚滝村(右京区)三...
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遊撃半使 ゆうげきはんす

朝鮮茶碗ノー手。豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592-8)の講和使節として来日した遊撃将軍沈惟敬が携えて来た半使の手の茶碗であるといわれます。半使釉といわれる独特の釉に小ひびがあるようで、釉立ちは総体に柔らかみを帯びています。(『高麗茶碗と瀬...
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山茶碗 やまちゃわん

尾張・三河(愛知県)地方で俗に行基焼、時によって、藤四郎焼といわれるもので、極クー部で山茶碗とも呼ばれます。多分山地にごろごろ転がっている茶碗だからこのように呼ばれるのであるでしょう。これは『延喜式』にみえる山坏・小坏などであるらしいです。