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鶴田 純久の章 お話

名物。朝鮮茶碗、割高台、高麗。
豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592-8)の講和使節として来日した遊撃将軍沈惟敬が所持していたもので、わが国に赴かんとした時、朝鮮国王がわが国で揮毫を求められた時の用意に贈った筆洗であります。
1596年(慶長元)6月惟敬は使節揚方享と大阪に渡来し、9月大阪城中で秀吉と会見し、和議が破れるとすぐに帰国しましたが、滞在中病を癒やしてくれた医官竹田法印に謝意を表するためこれを贈りました。
のち竹田家は借金のため井上新左衛門に譲渡、新左衛門は1639年(寛永一六)10月大判百五十枚でこれを丹後国(京都府)宮津藩主京極丹後守高広に売り渡しました。
高広没後遺物として女婿讃岐国(愛媛県)松山藩主松平隠岐守定直に贈られ、以来松平家の宝器として伝えられました。
筆洗形でやや締まり、口縁は少し端反り、両側に凹みがあってその凹みの中央に小耳があります。
外部は口縁下から胴体まで轆轤か浅く廻り、胴以下裾のあたりまで竪箆が全体を巡っています。
三方割高台で、底内足裏ともに釉が掛かり、足裏の方にはその面に黒いひっつきが各一ヵ所あるようで、胴から腰にかけて3日月状の大きな大割れがあるようで、内外ともに小貫入が全面に現れ、鼠色に青味を帯びた地質に口縁下より青白い釉の短いなだれがあります。
また高台廻りに青白釉がどろどろと掛かっておもしろい景色をなすところがあります。
内部は轆轤が浅く巡り見込みに至ってやや荒く、茶溜まりは鏡落状を成してやや凹み、目は不規則に四つあります。
口縁の耳のところに各小さい繕いがあるようで、見込みの鏡落内に二股をした大割れがあります。
筆洗としては丈が高く形が締まり、まったく他に類例をみなイー種特別のものであります。
総体に青鼠色釉に光沢があって作行は雅致が多く、特に口縁に相対して凹んだところがあるようで、その中に耳状をしたものがあるのがこの茶碗ニー種の愛嬌を添えており、古来茶入間で喧伝されたのも決して偶然ではないようです。
(『古今名物類聚』『大正名器鑑』)

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