慶長から元和にかけて美濃の窯で焼造された織部焼は莫大なものであり、種類もここに図示したように織部黒、黒織部、織部など、花入、茶人、香合、茶碗、燭台、大小の皿、鉢、向付など、器形、文様といこまことに多種多様で、到底一個人の好みとしてとらえられるような性質のものではありません。
集団的な陶工群によって、産業的な基盤の上で生産されたものであります。
しかし、表現の上ではさまざまに変化してはいますが、一つの共通性を持っています。
黒織部と織部は黒釉と緑釉という違いはありますが、釉をかけ分けて空間に絵文様をあらわすという文様構成は共通しています。
一地方の窯場全体が、共通したテーマによって製作しているところに特色があります。
このような現象は、おそらく有力な窯大将が作風を統制していたからであり、その窯大将が需要者の注文を受けていたのでしょうが、その需要者側の頂点には古田織部が存在していたものと推測されます。
いわば織部好みというテーマがあり、そのテーマに因って個々の陶工がそれぞれに工夫して作陶したのでしょう。
古田織部が好んだ個性的な様式を、集団的な陶工群が受けて生産したのが織部焼であったといえるのではないでしょうか。
したがって一つの作品に古田織部個人の好みを見出すことは不可能であり、後世、あえてその様式に名を与えるならば、総括して織部焼と称する他はなかったでしょう。
片口の水切り
古唐津古窯跡地でほぼ共通しています。大きさや焼方は色々有るけれども片口の作り方は同じようです。水切りは抜群に機能しています。現在は装飾のため片口が造られていますが、元々用をなすために造られた片口で四百年前はそれが当たり