◇沓形茶碗造りの分析
そもそも古唐津は朝鮮陶工の手によって作られたのが殆どだが、造形やデザインなどは日本人によって注文され生産されたと考えられる。この器は当時流行っていた織部好みの変形茶碗を模した茶碗を注文されたものであろうと考えられます。織部好みの茶碗となれば手練で作られた沓形茶碗だろうが、それまでの朝鮮陶工は轆轤引きで真円の器が常套だと考えていたのに歪で変形した器を注文となるとこの様にしか作れなかっただろうと思います。
まずは轆轤で真円に造り、両手で挟むように押し曲げ沓形の形にしています。それは部分的に屈折した跡が見えるので解ります。形作りも牛篦を使い牛篦の角縁を使って段差を造り筒状に立ち上げ胴の中央に胴締めのようなものを入れて、口作りは歪感はないものの力強さを魅せるため口縁を折り返して玉縁にしています。高台造りも普通の高台削りでなく二重高台にしているところなど、当時の織部好みの茶碗を意識した造り方と言えます。
これらは高台造りが違えども朝鮮の方に直接注文して作らせた御所丸茶碗などと共通しています。
◇土の分析
古唐津の陶片で共通していますが釉薬の溶け方や鉄絵の発色などから見てもそんなに高温で焼かれていないのに形が崩れてへたっていてそれを物原に捨てています。この陶片も同様ですが割れた断面を見るとよく溶けてまるで磁器土みたいになっています。不純物が入り色は付いているけれども後の古伊万里の初期伊万里を目指し焼き上げるまでの過程が解るようです。
その時代の日本には無かった技術、土や石などを唐臼で細かく粉砕し水に付け水中に浮遊する原理を応用し細かい粒子だけを取り出し土や釉薬に使う技術を朝鮮半島より日本にもたらし、佐賀県有田町周辺の石にその原料を見いだすまでの間、唐津を焼いていたようです。