宮城県加美郡色麻村四釜字東原の通称日の出山付近一帯に点在する古窯址群。
大村瓦窯址・東原瓦窯址・松原瓦窯址などの名称で呼ばれたこともあります。
日の出山窯群は瓦の生産を中心に操業され。
一部須恵器生産も行われました。
これまでに七基の窯跡が発見され、うち一基が須恵器窯で他はすべて瓦陶兼業窯でありました。
既発見窯跡のほかに、その近隣地点からも瓦・須恵器・窯壁塊などの遺物が数。
所から発見されており、この古窯址群の窯跡総数は十数基か、あるいはそれ以上に達するものと思われます。
窯跡はいずれも新第三紀に属する砂疎混入粘土層を基盤として構築された宿窯であります。
窯体の規模は通有の須恵器窯と比べてかなり小さく、七基申六基は全長5.3m前後、床る。
また目の出山窯群の製品中に八世紀中頃まで降る軒丸瓦があるようで、操業期間を考定するうえで参考となる資料であります。
日の出山窯群の製品の主体は瓦で、須恵器はそれ程多くないようです。
この古窯址群で焼成された須恵器の種類は杯・長頚壺・甕・鉢などで、大阪の陶邑窯などの例と比べてその器種は著しく限定されています。
しかし器形については特に顕著な地方色は認められないようです。
当地方では他に大崎市木戸瓦窯址群が知られていますが、口の出山窯群は木戸瓦窯址群と共に中央政府の東北進出を契機として開窯されたもので、奈良時代における陸奥国(青森県・岩手県・宮城県)の官窯であったと考定されます。
(「口の出山窯址群」『宮城県文化財調介報告書』二二)
日の出山古窯址群 ひのでやまこようしぐん
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