市原峴山 いちはらけんざん

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鶴田 純久の章 お話

土佐国(高知県)能茶山焼の陶工。初名は小市、明治維新の頃代佐と改めた。
峴山は号。もと土佐藩の足軽で、職務の余暇に陶業を研究し維新後独立して能茶山西端の近くに窯を築いた。
最初は水甕・片口などの雑器をつくるのに追われていましましたが、1874年(明治七)に当時近衛の軍曹でありました嫡男定直が、征韓論に関与して不平を持ち郷里に帰って陶業に従事するようになったので、峴山は茶器・置物などの雅味のある器の製作に没頭した。1909年(同四二)7月18日没、八十四歳。(『尾戸焼』)

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