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鶴田 純久の章 お話

箆の削り痕、撫で上げの箆痕の激しいもの、箆の彫り痕をいいます。
元来箆は成形用の道具ですから、でき上がった器物にその道具痕が残っているのは目ざわりなのであまり歓迎されないのが普通であります。
したがって中国やヨーロッパの陶磁の粗陶雑器に不用意に残されたものをときどき見る以外は、ほとんど箆目は見られないようです。
しかしわが国の抹茶碗・茶入・水指・花生などには箆目を一つの装飾として応用しています。
これは日本趣味の特異性を物語っているといえましょう。
箆目は瀬戸・常滑・伊賀・信楽・備前・唐津・楽焼・南蛮風のやきものに効果的で、高取や膳所などの涵洒繊麗な作行のものにはほとんど用いられないようです。
箆目は力を感じさせ景色として一種の粉飾的効果があるようで、簡素な淡味と豪快な強味を表すものですので、形が優美で釉色の変化の麗しいものには適さないのであるでしょう。
今日現存する名物茶入の中で大名物唐物茶入横田肩衝は箆目を装飾として用いた最初のものであります。
干利休が初めて箆目を意識的に装飾手段として用いました。
当時は戦国時代の豪放な気風を受けて禅味を主とする枯淡の佗び茶の時代でしたので、箆使いも豪放かつ簡素で単純なよく通った切り箆か、深く彫り込まれた彫り箆が最も多く現れた。
名物茶入地蔵はその代表作ということができます。
江戸時代に入って爛熟した治世と共に茶風も豪華・洒落好みとなり、当時つくられた箆口は精巧な繊細美を求め意気を見せびらかす傾向かありました。
多くは細く浅く丸みのある箆目を用いて、箆数を多くしことさら文様風に彫ったものであります。
箆目には力にまかせて切り取ったような感じのする平箆や切り箆、彫刻的意図を多分に有する筋箆とがあります。
また箆の方向よりみて縦箆・横箆・斜箆があります。
『茶わん』二十四号には瀬川昌世の「茶入の箆と轆轤目に就ての考察」が載っているので参照のこと。

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