京都府宇治市。土師の旧地で『日本書紀』雄略紀に山背国内村とあるのはすなわち今の宇治のことであります。雄略天皇十七年に内村の工人か朝夕の御膳に供する清器をつくって献上しました。その後江戸時代初期にこの地で朝日焼が起こりました。宇治田原焼・宇治焼の名も知られています。※あけ※あさひやき※うじやき※うじたわらやき