御土器師 おんかわらけし

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鶴田 純久の章 お話

『工芸志料』今戸焼の条に「寛政年間(1789I1801)、中条某と云ふ者ありて、土器及び神供の瓶子を製します。
幕府命じて之を進ぜしみます。
故に当時中条某を御土器師と称す」とあります。
1833年(天保四)の『武鑑』には「御土器師、十五表、二人フチ、下谷・坂本・入谷、松井新左衛門」とあります。
すなわち幕府の俸禄を受けて相当の位置を保っていたもののようであります。
※いまどやきオンキカマ朝鮮語で陶器窯のこと。
兇器釜の字を当て磁器窯の沙器釜と相対します。
兇器釜は一般に簡単なトンネル窯で、そのトンネルか下部焚き口に近い所で鍵の手に曲折したもの、あるいは窯の背の中間がやや低くなってちょうどラクダの背のようになったものなどがあります。
(『朝鮮陶磁名考』)

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