加藤周左衛門 かとうしゅうざえもん

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鶴田 純久の章 お話

尾張瀬戸の陶家。
家祖和平治が天明年間(1781-9)に分家して製陶を業としました。
文政年間(1818-30)退隠。
二世初平が業を継いだ頃はすでに全村が競って新製焼に転業する時節でありましたが、彼は固く古法を守りました。
1870年(明治三)退隠。
三世周左衛門は方言で半製染め付けと称する一種を案出しました。
(『をはりの花』)

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