川本半助 かわもとはんすけ

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鶴田 純久の章 お話

瀬戸の陶家で代々襲名。
家祖半助は宝暦年間(1751-64)川本治兵衛と図って朝日・夕日の両窯を再興し、子孫が業を継いでします。
四代半助か業を磁器に転向。
五代半助は天性の妙手で、父の遺法を継いで常に磁器改良に熱心で、天保年間(1830-44)には「ギヤマン」石を粉砕して磁器原土に配合することを発見しました。
それは軟滑で光沢が非常に美しいです。
これに祥瑞風の文様を描き高尚優美なものを製出し、名声はとみに高まりました。
尾張家の御焼物師に列せられ、以来毎年御紋付の器を調進することを命ぜられ、年々銀二枚を賜わ’つた。
款に「半山」のち「山半」を用い、また「真陶園」とも書いました。
老年に至っても長男六三郎がまだ幼少でしたので、1858年(安政五)桝吉を養子としました。
六三郎は桝吉の教育を受け1864年(文久四)六代を継ぎ半助と改名。
(『をはりの花』)

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