川本貞二 かわもとていじ

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鶴田 純久の章 お話

尾張瀬戸の陶工。
別に禎二とあります。
壕仙堂川本治兵衛の甥で、京都の欽古堂亀祐を招いて並ハに『陶器指南』という書を著そうとしましたが、藩の忌譚にふれて稿を没収された(一説には刊本とし、亀祐には捻り物を習ったとある)。
次いで1851年(嘉永四)4月美濃国(岐阜県)高須侯の江戸角筈(新宿区)下屋敷に招かれて魁翠園御庭焼に従いました。
一説に同窯に瀬戸原料を用いたために尾張藩に咎められ禁固の刑に遭い1855年(安政二)獄死したとありますが、近年の研究によればそうではなく、1859年(同六)の頃も依然として同窯に従業していたということであります。
(『瀬戸陶業史』『陶磁』七ノ四)※かいすいえんやき

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