中国古代に用いられた牛形の酒壺で、角はなく背を掘って樽としています。『荘子』に「百年の木、破いて義尊となす」と出ているように木でつくったものですが『陶説』巻六には『江西大志』記載の嘉窯祭器として犠尊を挙げています。陶製の犠尊もまたあったのであります。