大名物。漢作、肩衝茶入。名称の由来は不詳だが近江国(滋賀県)の木目城に因縁のある茶入であるでしょうか。もと福島正則の所持、1632年(寛永九)その子正利が父の遺物として将軍秀忠に献じその後秀忠から前田利常に与えられ、一時分家に伝えられたが程なく本家に戻り、以来前田家に伝来。(『大正名器鑑』)
きのめかたつき 木目肩衝
漢作唐物肩衝茶入。
大名物。
銘の由来は明らかでありませんが、朝倉領に木目城という城があ あるいは信長がこの城とともに茶入を入手したのではないかとの説もあります。
福島正則のときから所在が明らかとなり、寛永九年(1632)正則の子正利が父の遺物として正宗、青江の名刀二振とともに将軍秀忠に献上した。
次いで秀忠から前田利常が拝領し、以後代々前田家に伝承されました。
茶入は甑高く、捻り返しが強く凛然としています。
肩もかっきりと衝き、胴の張りはほどよく、背は高めで風格のある容姿を誇っています。
釉色は黒飴色の上に薄紫色が斑に現われ、光沢はきわめて麗しく見事です。
置形は肩のあたりから黒釉がかかり、胴で一筋にまとまり、さらとしきまだらに流れ下がって裾に至っています。
腰から畳付へは朱泥土が露われ、畳付は板起しとなっていて周辺が全体にやや摘まみ出された状態を呈しています。
腰に二カ所小さな窪みがみられます。
内箱書付は小堀遠州筆で「木目肩衝」と墨書されていて、おそらく前田家に納まって間もなく記されたものでしょう。
『東山御物内別帳』『玩貨名物記』 『麟鳳亀龍』『古今名物類聚』『寛政重修諸家譜』『前田家道具帳』などに記録されています。
【付属物】蓋仕覆―二、本能寺緞子間道織留(図版右より、『古今名物類聚』などに記載の弥三右衛門間道は欠損) 挽家 鉄刀木 内箱―桐白木、書付小堀遠州筆
【伝来】福島正則・福島正利 徳川秀忠 前田利常―前田家
【寸法】 高さ:8.9 胴径:7.7