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鶴田 純久の章 お話

肥前国(長崎県)三川内焼の祖。
朝鮮熊川の陶工で1598年(慶長三)平戸の領主松浦鎮信に従い四十三歳で同地に入り、中野に開窯して朝鮮風の土焼を製出しました。
のち蔑ノ元(佐世保市)に移り、そこでの十余年間に絵唐津風のもののほかに青磁・染め付けなども製したようであります。
七十七歳で竜造寺領の黒髪山に隠退し、1643年‘(寛永二〇)同地にて没`、八十八歳。
子の今村三之丞、孫の今村弥次郎兵衛(号如猿)以下が継業。
(『平戸焼沿革一覧』)※ひらどやき

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