久村焼 くむらやき

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

出雲国簸川郡久村(島根県簸川郡多伎村久村)の磁器。
1827年(文政一〇)頃同村柳楽孫兵衛などの資本により始まりました。
のち資金が欠乏し松江藩へ移管を出願し1830年(天保元)藩営となりました。
規模を拡張し製品もまた精巧となったが管理者に不正が多く、また肥前伊万里から来てこの窯の職長であった木村甚兵衛と意見が合わず、ついに1836年(同七)宇意郡下意東村(松江市東出雲町下意東)に移転となりました。
製品は染付磁器で絵は山水が多いようです。
その銘に「雲陽神門長沢山」「雲州長沢山清」「久邑苑野岳製」「久村野山製」「神門郡久村長沢苑野山製」などとあります。
野山は工人の姓で、「長沢山木村製」とあるものは、この窯の功労者で最も優秀な陶工であった甚兵衛のものであります。
なお久村藩窯の意東移転後の甚兵衛の境涯は不遇であるようで、寺子屋を開き、粗陶器抹茶碗(一種の楽焼き)をつくり、1852年(嘉永五)6月18日没しました。
六十二歳。
(『出雲陶窯』)

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