呉山焼 ござんやき

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

加賀金沢の陶器。
原呉山の作。
呉山は姓を原、名を与三兵衛といい、通称紺屋伊右衛門。
1827年(文政一〇)金沢十関町に生まれました。
風雅を好み多芸多能で、永楽和全と交わり深く、木米に私淑し、文久年間(1861-4)金沢卯辰山麓に窯を築き楽焼きをつくりました。
1880年(明治一三)には鶯谷伝燈院のほとりに陶窯を設け、工人を集めて南蛮・交趾・備前・伊賀・御本写しなどの類を製し『また時として江沼郡山代(加賀市)に赴き白銀屋に錦窯を築き、染付・赤呉須・金欄手・古九谷写しなどつくりました。
呉山は元来工匠ではなく自ら手を下してつくったものはまれであるといいますが、熟達した陶工を招き意匠・形式のことごとくを子細に指導し、呉山の精神を込めたものに印款しましたので、名工と称しても差しさわりないでしょう。
門下に諏訪蘇山・高野如月庵・須田1華らがいます。
1897年(明治三〇)七十一歳で没し、その窯も止んです。
なお銘には初め「震」を用い、次いで「呉山」を用いました。
(『九谷陶磁史』)

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