浦野乾哉 うらのけんや

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鶴田 純久の章 お話

明治期の東京の陶工。浅草今戸(台東区)に住んで古雅の陶器をつくりました。初め陶法を三浦乾也に学び、1900年(明治三三)のパリ博覧会には風神・雷神の笠翁細工を出品。その後入谷(台東区)に移り尾形圭助の養子となって六世尾形乾山を名乗り、『書画骨董雑誌』第八十七号に「尾形乾山及其家系に就て」という一文を載せました。これによると圭助は乾山の後裔で、東京都町田市の円福寺の過去帳には乾山以来数代の記載があります。乾哉は特に小細工物が巧みで、イギリス人バーナード・リーチは彼の門下でした。1923年(大正一二)9月関東大震災直後に没しました。

三浦乾也

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