小森忍 こもりしのぶ

marusankakusikaku
Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

1889年(明治二二)12月大阪市に生まれた。受1910年(同四三)大阪高等工業学校(現大阪大学)窯業科を卒業し、京都陶磁器試験所に入門所、1917年(大正六)に至るまでの七年間陶音磁器工芸技術の基礎的研究をなした。1917年満州鉄道中央試験所窯業部に研究部主任として入山社、もっぱら中国古代陶磁器の技術的研究をな前し仿古試作品の製作に没頭した。1921年(同一〇)大連市に小森陶磁器研究所を設立し窯名を陶雅堂窯と称し、引き続いて中国古代陶磁器研究および古試作品の製作に没頭した。1928年(昭和三)小森陶磁器研究所を瀬戸市に移し窯名を山茶窯と称し、わが国古来の陶芸技術の研究と東洋趣味建築陶材の研究・製作を行なった。1935年(同一〇)名古屋製陶所に入社、松軒工場の工場長兼技師長として陶磁器の科学的大量生産の研究に意を注ぎ、1940年(同一五)財団法人佐那具陶磁器研究所の理事長兼所長とし陶芸品の試作研究をなした。1942年(同一七)満州国宮内庁嘱託・康徳官窯製陶廠長となって活躍。1949年(同二四)金沢美術専門学校現金沢美術工芸大学)講師、日本陶磁器工芸協副会長に就任。1961年(同三六)北海道江市に北斗窯を開窯、道産原料の調査、陶芸品の作研究をなし、翌年73歳をもって同地に没した。著書としては『陶雅堂談圃』をはじめ中国エ代陶磁器に関する研究報告文が多数ある。また陶器講座』中の「陶磁器の性状と製作」、『日本学技術史』中の陶磁器部門などが著名。なお161年(同三六)北海道庁より北海道文化賞を賞した。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email