尾張常滑の陶工。初代三光は通称常蔵、姓は松下、ろくろ海亭の別号がある。また幼名を初次、長じて恒といったともいう。1806年(文化三)生まれ。幼少の頃から製陶の技を修め、轆轤の妙手で煎茶器や抹茶器および花瓶などの作に巧みであった。また南蛮写しを始めて名が高かった。門下に森下木二・伊藤董斎・村田富久・片岡二光の名工が輩出。1869年(明治二)没、64歳。二代三光は幼名を恒二といい、1829年(文政一二)生まれ。父の名跡を継ぎ、またその遺風を受けて南蛮および朱泥の煎茶器・酒器などをつくるのに巧みであった。作品は轆轤の妙を得てどれも高匋雅の風がある。柴田一光・磯村白斎・浦川一斎らがその門より出た。1887年(明治二〇)没、59歳。(『常滑陶器誌』『日本近世窯業史』)