上野忠兵衛 あがのちゅうべえ

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鶴田 純久の章 お話

肥後国(熊本県)高田焼の陶工。
喜蔵の長男。
1632年(寛永九)に父と共に細川三斎に従って豊前国(福岡県)より肥後国八代郡高田郷下豊原村(熊本県八代市豊原下町)に移りました。
喜蔵を初代として二代目忠兵衛は宝蓋と称し、三代目忠兵衛は一風と号し、四代目を忠兵衛、五代目を忠蔵、六代目を忠兵衛といい、七代目の才兵衛はのち洲三と改め、隠退後は二代目の号を用いて宝蓋と称しました。
八代目の庭三はその子で明治年間家業に従事しました。
(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)

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